ああもう30日・・・。準備はいいですか?

もう12月30日になってしまいました。

9月に決めた年内100回のブログ更新があと15回残っております。

いやいやこれは無理でしょ?と思いながらも頑張ってみたいと思いますが、

とりあえずは寝る間を惜しんでみます。ただいま○時を回りました。

 

そんなわけで年の瀬です。

この時期の落語といえばやはり芝浜。大ネタですね。

談志師匠の2007年の芝浜が伝説と言われているようですが、恥ずかしながらまだ聴いたことがありません。

でもこれは聴いてはいけないかもしれない。

なぜならワタクシが初めて演じた落語が芝浜なのです。

無知とは恐ろしいもので、落語を知らないことをいいことに寿限無とかをすっとばして芝浜ですからこれはもう大馬鹿者です。落語家の人が聞いたら怒りますねきっと。

そんなワタクシですから、談志師匠の芝浜なんか聴いちゃったら恥ずかしくって穴から出られないかもしれない。

しかしここまで書いておいてなんですが、これはアマチュアだからできる暴挙でありまして、せっかくアマチュアなんだから好きなことやりたいじゃない。

だからワタクシは人に後ろ指を指されようとも、芝浜やります。

 

だれかが言ってました。向う見ずは才能だと。

 

向う見ずでここまで生きてきたワタクシですから、大晦日にはここケディバシュカンで、大橋亭トリオらしい芝浜、演じてみたいと思います。泣く準備、心の準備をお願いします。

ぜひ年の瀬はここ常滑でカウントダウン、お越し下さい。

隠しきれないオーラとか出せる人になりたいよね。

この前2人の男性がお店に来てくれまして、明らかに只者じゃない雰囲気でね。とにかくカッコイイしオシャレで、こりゃーこの辺の人じゃないにと思ってたら案の定、名古屋の人でした。

僕らも地元が名古屋なので、名古屋の人にはひときわ愛着を感じてしまうのです。

お話を聞いたらアパレルの方と美容師さん。オフなので普通の格好だと言うことでしたが、やっぱりオシャレな人は隠してもオーラが出ちゃいますね。

アパレルの方は松坂屋の帽子屋さんの店長さんということで、「名古屋に行った時は寄ります!」と言ったら、「あ、そういうのは大丈夫です。」と返ってきました。

ああこれは社交辞令を散々言われてきてるなーと思ったので、次の日早速名古屋に用事があったので松坂屋に行きました。

そしたら相当驚いていた&喜んでくれまして。

そんで、いろいろお話したらやっぱりカッコよくて面白い人だったから会いに行って良かったなあとしみじみ思いましたねー。

僕らは基本社交辞令は言いません。行きたいと思ったら行くし、行きたくないと思ったら行きますとか言わない。

とにかくカッコイイ人や面白い人は尊敬するし会いに行きたい。そもそもそんな風に思える人なんて、ハッキリ言ってそんなにたくさん居ないんですから会いに行かなきゃあいけない。

そもそも僕になんて会いに来てくれる人はそう居ないんだから、どんどんこっちから出向いて行かなきゃね。

最近はこんな風に積極的に外に出て行くようにしてるんだけど、知れば知る程世の中には本当に面白い人が多くて如何に自分がちっぽけな存在かを思い知らされるばかり。

でも逆に、すごい人だとおもってた人が全然すごくないことに気づかされることもあったりしてね。

最近思うのは、人の大きさを決めるのは職業や収入じゃなくて魂。スピリット。

スピリットでもって魅力を出せる人間に僕はなりたい。

 

お手軽な発信機が普及すると嬉しい。

ウチのカミさんが、いつもいつもアームバンドを探している。

どこに置いたかわからなくなるもの結構あるよね。

眼鏡、スマホ、読みかけの本に高座扇etcetc….

でもウチのカミさんはそれらを抑えて圧倒的にアームバンドが見つかりません。

どなたかアームバンドがすぐ見つかる方法、教えてください。

 

何でも箱の大きさは決まってるのね。

今年ももうすぐ終わりですなあ。

2016年は中盤から少しづつ、そう、奥歯の奥の歯ブラシの届かないところから少しづつ虫歯が進行するように、はたまた電話機のコードが気づいた頃にはぐりんぐりんになってるように、今まで無理してた人間関係が崩れるような出来事が起こってて、気付いたら取り返しのつかない状態になることが多くて、どうにもこうにも大丈夫なのか俺たち、みたいな心持ちになることが本当に多かった。

でも今は自分でも驚く程に清々しい気分。

すっきりした人間関係は、喉に刺さった魚の骨が取れたような、はたまたご飯を咀嚼している最中にクシャミをして鼻の奥に来ちゃったご飯粒がしばらくして取れたような、そんな爽快感があって、なんでもっと早くこうしなかったのかと自分で自分を責めたくなる程。

そう、いらない物を捨てなきゃ本当に必要な物は手に入らない。箱の大きさは決まっているからって、そんなことは良く言われることだけど物と人間関係のキャパシティが同じだなんてことを実感することは今までなかったわけで。

だってね、新しい服を買おうと思って、でもクローゼットがいっぱいなら服は買えない。

だったら着ない服を捨てるか、とはなるけどね。

新しい友達が欲しいから、今の友達捨てるか、とはなかなかならないわけで。

人間には情とかしがらみがあるから。

でもその情が無くなる時がある。

しがらみとかどうでもよくなるくらいに。1つあると2つも3つも出てくるのね。あれは不思議。

でもよくよく考えてみると何ら不思議じゃなくて、なるべくしてなってる。そういう関係は今は大丈夫でも、いつかは必ず亀裂が入るようになってる。

それが今年は結構あって、でもその後に本当に良い出会いや出来事がたくさんあって、ああやっぱり人間の持つキャパシティも一定なんだなあ、と安っぽいスピ系の本に書いてあるようなことを思ったりする訳です。

 

2016年も残りわずか。今年の汚れ、今年のうちに。

そして来年、さらに良いことがありますように。

 

こんな時代だからこそ寅さんに学びたい。

ワタクシ一応おしゃれなカフェをやっておりますが(自分で言う)、お会計してるとカップルでも割り勘が珍しくない。

まあ付き合って長いカップルとかね、気心しれた中でしたら割り勘なんかもありなんでしょうが、明らかにまだ日が浅いようなカップル、まだ今付き合う前段階のカップルなんかでも割り勘が多い。

これって僕らの若い頃はちょっとカッコよろしくないという感覚でしたけど、最近はそうでもないのかな。

まあ男女の差がないようにないようにしている時代ですから、こういったことも当たり前になってきているのかもしれませんが、なんとなくねえ、男に生まれたからには見栄を張りたいじゃないですか。こんな時代ですから懐寂しいこともありましょう。でも昼飯を菓子パンに変えても、見栄を張るために我慢する。

それにね、よくよく考えてみたら、しょうもないことにお金使ってない?

ゲーム買ったりパチンコしたり。そういうの我慢してでも見栄を張らなきゃね、男なら。

よく分かんねえなあ、という人は「男はつらいよ」観て寅さんに学びなさい。

 

でもね、希に、ホントに希に若い男の子が、彼女がお手洗いに行ってるときに会計を済ますって粋なことをするときがあるんです。つい2,3日前にもいましてね。今時ホントに珍しいんだけど、たまにその光景に出くわすとおじさんはニヤニヤしちゃうんです。まだまだ日本男児はいるぞ、とね。

まあそれぞれ理由がありましょうけれども、あくまでワタクシの主観ですのでね。そこんとこよろしくお願いします。