長嶋茂雄氏とガッツ石松氏の伝説はテッパンではあるでしょうけどもね。やはり一事が万事でございますなというお話もありつつ読書会へ繋げたい。

昨日有線で落語を聴いてたら、ある落語家さんがマクラでミスターこと長嶋茂雄さんの名言で笑いを取ってたんです。例えば、

・THEをテヘと読んだ。

・職業欄に「長嶋茂雄」と書いた。

・掛布に電話越しにでバットを振らせアドバイスした。

・鯖という漢字の説明に「魚へんにブルー」

・審判に代打川相を告げるときにバントの構え。

・I live in TOKYOを過去形にしたら?の質問に「I live in EDO」

などなど。

いや、これは確かに面白いけど、なんかこういうので笑いを取るってプロの噺家としてズルい気がしませんか?

面白いのはミスターであって落語家じゃない。

何かのきっかけに一つくらいは例に出したりすることはあるでしょうけど、延々とミスターの名言を話してまして、なんだかなあと思いました。

なんかこういうのって、自分の中から生み出してない。自分の体験じゃないし。工夫がない。

例えば自分の知り合いでこういう人がいてこんなことを言ってた、なんて話のほうが断然面白い。

結局は自分の体験の話が面白いよね、ということでございます。

 

そんなわけで、そんなわけでもないですが先週常滑の自家焙煎珈琲ケディバシュカンにて読書会でした。  http://www.kedibaskan.com/

ラインナップは、

・「勇者たちの伝言」 増山実

・「THE VERY HUNGRY CATERPILLAR」  Eric Carle

・「2017年 世界最終戦争の正体」 馬渕睦夫

・「silhouette」   Megumi Kajiwara  Tatuhiko Niijima

そしてワタクシがダンテの「神曲 地獄編」です。

デビルマンをこよなく愛し、永井豪先生を敬愛する大橋亭ではございますが、恥ずかしながら永井豪先生に大きな影響を与えている神曲を読んでおりませんでした。

「神曲」は皆様ご存知の通り、ラテン詩人ウェルギリウスの魂がダンテを地獄・煉獄・天国と案内するという物語。

ケルベロスやメデューサ、ベルゼバブなどなども登場し80年代ジャンプ世代の僕としては、いやがおうにも巻来功士先生の「ゴッドサイダー」や車田正美先生の「聖闘士星矢」なんかを思い出してワクワクしてしまうのです。

あとはなんといっても永井豪先生の「魔王ダンテ」のイメージが、神曲に描かれたギュスターヴ・ドレの悪魔大王の挿絵から来ているということで感慨深い。これがなかったらデビルマンも生まれてなかったかもね。

ちょっと脱線気味ですが、物語としては地獄の各階層に罪を犯した人(大食らい、自殺、女たらし、偽善者、盗人、詐欺師などなど)が様々な罰を受けているというもので、その罰がなかなか酷くて面白い。こんな地獄が待ってるなら、真っ当に生きようと思うこと間違いなし。

そんなわけで、古典の名作「神曲」、皆様もぜひ。

これはとりあえず読んでおくと、「おお!」と言われそうな雰囲気の本なのでそういう意味でもオススメです。

そしてやはり本というのは、様々な角度で僕たちに知恵を与えてくれるものだと痛感します。

そして本を読むことで知識を深め、様々な議論を交わすことの面白さ。

もっともっと学んでいきたい。そして落語で面白いマクラに繋げたい。

立川志らく師匠の「立川流鎖国論」から、伝統に拘りすぎる人ほどクリエイティブじゃないし全然面白くないということを考えてみる。

立川志らくさんの本読みました。

「立川流鎖国論」。

立川流とはなんぞや、ということを書いた本ではありますが、志らくさんのエッセイ色強めの本でございました。

 

東京には落語の団体が4つあり、一つは老舗で最大の「落語協会」、新作落語の老舗「落語芸術協会」、先代の三遊亭円楽師匠が作った「円楽一門会」、そして、落語協会を飛び出した立川談志が作った団体、「落語立川流」。

基本的に東京の寄席に出演できるのは、「落語協会」と「落語芸術協会」の2つのみ。

ということで、立川流は寄席に出られないのでホールなどで高座をしているのですね。

寄席というのは365日高座が開かれている場所で、入門した落語家はまずは寄席に出て修行を積む。そして5年程度で前座から二つ目に昇進し、10年程度で真打に昇進する。

ここで志らくさんが言いたいのは寄席に出られない、所謂アウトロー集団である立川流が今勢いを増してきている、と。

志の輔、談春、志らくに談笑。個性的で、魅力的な噺家が今注目を集めている。なぜか。

それは、談志という強烈なカリスマの言葉だけを信じ、談志に認められることだけを目指したから。

立川流は落協や芸協のように、年功序列のように年数を重ねれば昇進できるわけではない。

昇進基準がありそれをクリアしなければならない。

二つ目に上がる基準は「落語50席、歌舞音曲、講談の修羅場、寄席の太鼓」、真打ちの基準は「落語100席、歌舞音曲、客を呼べるメディア、談志の認める価値観」ということらしい。

 

なるほど、このあたりに僕の普段から考えていることへの疑問の答えがありそうだ。

それは、「プロの落語家のすべてが面白いわけじゃない」ということ。

確かにテレビを観てても有線で聴いてても面白くない落語が多い。

「それは生で聴いてないからだ!」という批判は受けません。

だってホントに面白い人はテレビで聴いたってラジオで聴いたって面白いはずでしょ。

よく音楽でも「ライブがホントに良いんだから!」て言うけど、いつでもライブで聴くわけじゃないし、ほとんどが何かしらの音源で聴くんだからまずは生じゃなくても良いものじゃないと僕は聴いてられません。

落語家にしてもミュージシャンにしても星の数ほどいるんだから、せめて音源だけで面白いという選別をしないと選んでられません。もちろん実際に寄席に足を運んで生で感じることも大事ですが、毎回毎回足を運んで面白い人を見つけるなんてことはなかなか出来ないわけです。

話を戻すと、なんで落協や芸協に突出した個性が少ないかということですが僕の感覚で言うとやはり長くやってれば自然と昇進するからじゃないだろうかということ。

だって面白い工夫をしなくても自然と上がれるならあまり工夫しない。

公務員が接客の向上をしないなんてのも同じ理由なんじゃないかと。とりあえず業務をこなせば給料は出るもんね。

そして寄席。定期的に出られる寄席があるから工夫しない。

普通は面白くなければ発表の場はないのでしょうけれど、定期的に出られるとなれば惰性で落語する人もいるでしょう。

そしてなんと言っても僕的には新作落語を演じる噺家じゃないとリスペクト出来ない。

立川志の輔、立川志らく、柳家花緑、春風亭昇太、柳家喬太郎などのメディアで人気の落語家は新作を演じてる。

落語は古典だ、と言う落語家は伝統を守ると言いながら新しいものを生み出せないことをすり替えているように思う。そもそも落語は大衆芸能で、本来は時代時代に合わせた噺をするもののはず。

へっついだとかいろいろ現代じゃ理解出来ない言葉が多い古典。それがわからないようじゃ落語聴いちゃダメ、みたいな風潮があるとどんどん若い人は聴かなくなっちゃう。

もちろん古典を語り継ぐことも大事。だけどそればっかりじゃなく、新作を演じながら古典を守ることだって出来るわけで、むしろ新しい客層を広げつつ伝統も守るっていうのがプロの落語家の在り方だと思うのです。

これは他でも言えることで、伝統工芸にしても伝統音楽でもそう。

残していくには昔ながらの型にこだわらなきゃいけないという人がいてそういう人は新しいことをする人を否定するけど、でも職人やアーティストってクリエイティブじゃなきゃいけないわけで、今の人に受け入れられるものを提示しながらじゃないと伝統すら守れないと僕は思うのです。

昭和の名人と言われる落語家は沢山いる。しかし今の人にはちょっとわかりにくい。

落語をとことん好きになりたい!という人ならじっくり向き合ってその味わいを理解するかもしれないけど、残念ながら娯楽が多く落語に慣れ親しんでいない現代人にはそんな時間はないわけで、ぱっと心を掴むようなものじゃないと続けて聴こうとはならないのです。

 

いやしかし、この話題は落語だけでなく他にも多くのことを含んでいるものだと書きながら思ってしまいなかなか文章がまとまらず。とりあえず今回はまとまっていない中で終わりにします。疲れちゃった。

また改めて書ききれなかったことを書きたいと思います。

ちなみに志らくさんは「落語の面白さは、わからない人にはいくら説明してもわからない閉鎖的な芸能」と書いております。

そうなのかなあ。「バールのようなもの」の面白さをわからない人っているのかなあ。

「厩火事」とか「猫の皿」とかの面白さわからないかなあ。

でもきっとわからない人もいるんでしょうね。

僕の観たけど面白くなかった、ていう人もいるでしょうけど僕はアマチュアなのでね。

とは言いながら、大橋亭トリオはアマチュアなりに皆様に落語の面白さを伝えていけるよう頑張ります。

どうぞお付き合いくださいませ。

 

与太郎ばかりの世の中を笑い飛ばすべく。でもきちんと日本の将来を考えないと大変なことになります。

そんなわけで1月12日でございます。

しかしまあ新聞読んでますと動悸がおかしくなりそうなことばかり。

トランプ、原発、中国、慰安婦像、ドローン、いじめ、カジノ、成人式の奇行、過重労働、ポケGO・・・・

 

ウソばかりの世の中で、何が真実か、誰を信じるべきかよくわからず日本の先行きに不安を感じてるところにバカげたニュースが飛び込んできて更に不安が増す。

救急車の出動600万件超え。

理由に、「搬送が無料だから」「優先的に診てもらうため」「軽い擦り傷」なんてのもあるそうだ。こんなんだから有料化も検討されてるらしい。世の中にバカが多いから、ちゃんとしたした人までバカを見る。「ホントに急を要してたらどうすんだ!」とか言うやつに限って簡単に救急車を呼んだりするんだろう。勘弁していただきたい。

 

こんな世の中ではございます。こんな時は落語。落語は業の肯定だと談志師匠。

そうか。軽傷で救急車呼んじゃうような与太郎を笑い飛ばすのが落語だね。

 

そんなわけで大橋亭トリオのフェイスブックページを昨日作りまして、これから落語の予定なんぞを書いてみようかなという気概でございます。

まずは直近の予定は今月30日(月)、名古屋市天白区のお花屋さんエパヌウィールさん。

http://epanouir.jp/info.html

こちらはなんともオシャレなお花屋さんでございまして、こんなワタクシなんぞが落語させていただいてもよいのかといささか不安になるんですが、こちらのオーナー御夫妻は優しく見守ってくださる素敵なお二人。

この日はワタクシの表の顔であるコーヒーをお出しする企画ですホントは。

この企画自体はもう10回程になるんですが、落語を始めてから一度抱き合せでやらせていただいたもんですから、それ以来調子に乗って次で3回目でございます。

この日はお酒も前回に続きお出しします。ワタクシの下手くそな落語、下手くそだけど味のある落語、お酒の力を借りて楽しんでいただければ幸いでございます。

 

1月30日(月)

epanouir -エパヌウィール-

名古屋市天白区井口1-604メゾンクロード1F

TEL.FAX 052-846-2834
Open 10:00-19:00

出張コーヒー&落語は16時から21時です。

落語は19時15分ぐらいからの予定。

この日は時間を延長していただけますので、皆様お仕事帰りにもぜひ。

 

 

無意識のうちに考えることを考えなくなってるから意識的に考えることをしないと非常にまずいんじゃないかというお話。

40年ぶりだかで書籍の売り上げを雑誌の売り上げが下回っているそうで。

問題は、書籍の売り上げが伸びて雑誌の売り上げを超えたわけではなく、雑誌の売り上げが下がって書籍の売り上げを下回ったということ。

女性誌や漫画といった雑誌が大きな売り上げを占めていた書店にとって雑誌の売り上げが下がるというのは、活字離れが叫ばれ電子書籍が普及する現代においてはかなり厳しい経営を強いられることになりそうです。

そりゃ現代はスマホ社会。

片手に収まる小さな機械にファッションの情報、旅の情報、芸能人のゴシップから音楽のことetcetc、全てがタダで見られるわけで、こうなるとお金出して大きくてかさばる雑誌なんか読まないよ、ということになるようです。

んー、確かにスマホ便利。

わからないこともすぐ調べられるし、写真も撮れるし動画も観れる。

確かに便利ではあるんだけど、最近特に気になるのはカフェに来た恋人同士や友達同士で一緒にスマホを見ていること。

お互いそれぞれに見てたり、はたまた一緒に見たり。

ヘタすると音出して動画見ちゃったりしてキャーキャー言うんだけど、なんかそれで良いのかなあと思っちゃう。

だってせっかく友達や恋人と出かけてるのに話もせずにスマホ見るなんてもったいない。

でもそういうもったいない人がすごく多いから何でかなあと考えてみたんだけど、想像するにスマホが身近になりすぎて想像することができなくなってるんじゃないかと。

例えば僕らの若い頃は携帯はあったけど電話機能のみで、今のようにパソコン的役割なんてなかった。

そうすると例えば女の子とデートに言っても何か会話をしなければならない。面白いことの1つも言わなけりゃ次はないわけで、そうすると一生懸命話題も探すし面白いことも言おうとする。

しかし今の時代は話すことがなかったらスマホ見ればいい。ネット見てSNS見て話題を見つけて、過去に撮った写真を見て盛り上がる。

そう、今は話す話題がなくても会話の隙間をスマホで埋めることが出来る。

人間ってのは楽になるとどんどん楽な方にいく。

頭使って話題を探さなくても会話を埋めれるならスマホに頼っちゃう。

そうして、会話が無くなる→スマホ見る→考えない→会話が無くなる→スマホ見る→更に考えない→会話が無くなる→スマホ見る→もう全然考えない→会話が無くなる→スマホ見る→考えてられない・・・。

とまあこんな具合にどんどん思考することが出来なくなっているんじゃないでしょうか。これは非常にまずい気がします。まあ中にはいつまでもいつまでもしゃべり続ける人もおりますが。

そんなわけで、皆様今度恋人やお友達とカフェに出かけた時にスマホを見ない、というのを試してみてはいかがでしょうか。今現在の自分のボキャブラリーがどの程度なのかを知ることができるでしょう。そしてそのときに初めて、キャバクラで働く女性の会話力のスキルの高さを思い知ると思います。

 

時代の流れは止めることは出来ない。どんどん新しいものが出来て便利になるし、その便利なものは人間の思考力を奪うものだと僕は思う。

だから意識的に考えることをしないと人間力が弱まっていく気がしているので僕は頑張って本を読んだり新聞読んだり趣味を持ったりしております。それでもまだまだ面白い人には及ばない。でもそういう人に少しでも近づけるように自分を磨いていきたいと思います。

あ、あと人間力を高めるのに効果的なのは「落語」を聴くこと、です。

 

突き抜けるにはどうするか。万人に埋もれるよりは振り切ること。なんだけどねって話。

慌ただしかった12月も終わり新年はのんびりできるかと思っておりましたが、確定申告を間近に控えその準備で再びざわついておりますトリオでございますが皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 

本を読みました。

木下古栗さんの「グローバライズ」

先日の読書会でご紹介くださった方のお話がとても面白そうで、それを聞いていた普段読書しないオモシロガールが思わず購入したというこの「グローバライズ」。

その後しばらく経ってからこのオモシロガールが、「トリオさん、この本の面白さが全然わからなかったんだけど、読んで感想聞かせて。」と来た。

この本を紹介してくれた方は相当の本好きで、かなり幅広いジャンルを網羅しているだけに面白い本だろうと思っていたワタシは、「オモシロガールが理解出来ないんじゃないの~」と言いながらこの本を借りた。

木下古栗さんは全然知らない人で、とりあえず先入観なしに読む。

短編集ですすっと読めるんだけど、1話目からちょっと一癖ある感じがビンビン。

なんというか、独特な奇妙な空気感があってちょっと気味が悪いというか気持ち悪いというか。

例えば最初の話は、会社員の同僚が温泉に入っているシーン。

二人でお互いの家庭の話をしながら頭洗ったりしてるんだけど、ちょっと触ったりするんだよね。

で、「ん?何?もしかしてゲイ?」みたいな緊張感が生まれて、いつゲイが発動するんだろうとある種の嫌悪感を抱きつつ読み進めるんだけど、結局ゲイらしいことは起きず、同僚が風呂場から姿を消して終わるという。それもどうなったのかもよくわからない描写で。

あと別の話で、不動産業の男がトイレでムスコをズボンのチャックで挟んでしまい、脂汗をかきながらどうにかチャックを下ろすんだけど、それと同時に場面がフランスの牧場に写りジェロームが射精するというよくわからない展開があり、斬新なんだけどこれもまたなんとも言えない気味悪さ。

ただ後の話で、眼鏡メーカーの新作発表会の場で女性社員が急に社長に浣腸するんだけど、浣腸と同時にまたフランスでジェロームが射精したときは笑いました。

あと面白かったのは「道」という話。

坊さんが若い女性に道を教えるんだけど、そこから文字がすべて漢字になって、まるでお経のようになるんだけどそれが面白い。お坊さんが自分の過去を淡々とお経のように話す様が見事で、このあたりにこの古栗さんの才能を感じます。

しかし。

結果的に最後の表題作である「グローバライズ」は、もう途中でうんざりして読むのをやめました。

寿司屋の板前が客を惨殺してどうのこうのという話なんだけど、その前の話の「絆」で、下痢の描写や乳首を噛みちぎって食べるみたいな描写で散々気分が悪くなったところでの寿司屋なもんだから「もう無理!」でした。

こういう作品は必ず好きな人と嫌いな人が別れます。

作者自身万人受けを目指した作品ではなく、初めから熱狂的な層を狙っている。と思う。

世の中には才能のある作家はゴマンといる。

その中で抜け出すには、このような奇をてらったアプローチができるのも一つの才能だと思う。

だからこの作品が他の人の作品より優れているとか優れていないとかの話ではなく、単純に好みの問題で僕の好みではなかったということでございます。

 

まあでも久しぶりにこういった現代小説を読んだので良い経験になりました。

また少しづつ、皆様のオススメを読んでみたいと思います。

ちなみにこの本の中の「専門性」が一番厳しかった。気になる方はケディバシュカンへどうぞ。