キン肉マンを改めて見直したい。

僕らはマンガで強くなった、みたいな番組やっててキン肉マンだったから観てしまった。

だってばりばりのキン肉マン世代だもの。しょうがないでしょ?

しかしゆでたまご先生のことはほとんど知らなかったけど、なかなかすごい人達でした。

小学生の頃から2人で漫画を描き、18歳の時に何かしらの賞を取ってキン肉マンでデビュー。アシスタントを経験していない完全な独学、オリジナルな漫画家。すごい。

もともとギャグマンガで子供に大人気。

しかし2年ほど経って人気に翳りが出て打ち切りのピンチ。

そこで2人は考えた。

転機はロビンマスク(だっかな?)との試合。

この試合で「キン肉マンカッコイイ!」というファンレターが大量に届いた。

キン肉マンをカッコイイなんてつもりで描いてなかったゆでたまご先生はここで新たな方向性を見出す。

「カッコイイキン肉マンを描こう」

そうして普段は弱気で情けないキン肉マンが、いざ試合になるとシリアスに相手を倒すというギャップを持つキャラクターとして生まれ変わり、その後ジャンプの人気投票で1位を取る程人気になるわけです。

やはり大事なのは柔軟性。

諦めないという気持ちが新たな希望を生むわけで、ギャグに拘ったら今の人気は無かったのでしょう。こういう事は自分の人生でも言えることです。

そんなわけで相変わらず最近の僕は、その人の持つバックグラウンドや生きてきた過程に意識が行ってしまうわけですが、そういった意味でもゆでたまご先生、リスペクトです!

 

天秤にかけた訳ではない。ちょっぴり残念なだけ。

昨日はお店の通常営業最後、ふとテレビを付けたらXjapanの特集だったから思わず見入ってしまった。

YOSHIKIはカッコイイなー。

YOSHIKIがピアノでオーケストラを従えてコンサートとかやってんのね。

好きとか嫌いとかじゃなくて単純にすごい。

Xが特に好きと言う訳じゃないけど、やはり人の魅力を決めるのは生き様だ。YOSHIKI、好き。

 

そうして見終わってチャンネル変えたらプロレスが終わってて、しかも棚橋とレインメーカーの試合だったっぽくて、ああこっちの方ご観たかったと思ってしまった私です。

人のふり見て我がふり直そう。

ちょっとのことで台無しになることってある。

 

クールに決めてるのにチャックがあいてる。

人にマナーを説いているのに鼻毛が出ている。

一言が余分。

いい人なのに目つきが変態。

話の最後が必ず自慢。

やる気があるようで土壇場で逃げる。

いい人ぶってるのにSNSで文句ばっかり。

上半身はおしゃれなのにクロックス履いてるetcetc・・・

 

気を付けよ。

 

 

 

運動音痴というキーワードでスタートさせてみました。

僕は運動音痴なんです。

髭眼鏡でクールぶってますが運動がまったくできません。

だから学生時代は体育の授業がホントに地獄的に嫌でした。

何やってもダメで、得意なスポーツはゼロ。

なぜあんな屈辱に耐えなければいけないのかと子供ながらに惨めでしょうがなかった。

 

でも昨今の運動会で順位をつけないとかそういう画一的なものは断固反対です。

優劣を付けないとか、オンリーワンでいいとかそんな生っちょろいことを言うから社会がどんどんダメになると思うんです。(これは僕の勝手な解釈ですのであーだこーだ言わないでね。)

子供は傷つく。僕も傷ついた。でもだからこそ打たれ強くなったと思うし考えるし工夫する。

劣等感が自分を突き動かすこともあるし、そこで世の中の仕組みを体感で理解できる。

だって世の中に出たらオンリーワンでいいなんて誰も言ってくれない。

終わりのない競争に晒され、それでも生きていかなけりゃいけない。

 

今じゃ学芸会の演劇で主役が何人もいると聞く。

冗談じゃないと思う。子供はそんなにばかじゃない。

物語の中で何人も主役がいるという矛盾を幼い子供に見せてどんな大人になるのか想像できないのだろうか。

親、教育者。大人がちゃんとしないと。子供はそういう人の背中で育つんだから。

お願いします。