今が幸せだからこそ、過去を思い出すわけで。その1。

今日もグッドな陽気でお出掛け日和、皆様フェスにバーベキュー、あれやこれやと屋外で楽しんだことでしょう。

そんな中相変わらずのコーヒー屋でございました。

相変わらず、と言ってはおりますが、やはりワタクシはフェスやらバーベキューをして遊ぶよりは、こうしてお客様をお招きしてコーヒーを淹れているほうが楽しいのでございます。

 

お陰様で近頃は新しいお客様が沢山来てくださるんです。

正直言って2年前くらいまでは結構キツかったんですよ。

新規のお客様が結構少なかった。

名古屋生まれ名古屋育ちのワタクシたちは、この常滑というところに店を出すということで来たわけです。

しかし、この地方の独特の空気感に馴染めなかったんですねえ。

「俺は、俺だから」。

とかなんとか言って独自の世界を突っ走っていたんです。

まあゆっこもゆっこでワタクシ以上に頑固ですから、自分を曲げないで地で突っ走るんですな。

そうすると、ちょっとコアなお客さんが付くんですよ。

それが一人増え、また一人増え。

どんどん増えるんです、コアな方が。

でも名古屋から来て身寄りのないワタクシ達は、「ああ、一人じゃないんだ」。となるわけです。

 

つづく。

 

ひろゆきさんがすごいのか、はたまたゆっこがすごいのか。

最近は未来に興味があります。

大橋亭でございます。

 

昨日、yuccoと未来について話しておりまして。

最近はホリエモンに注目しているワタクシ、よくYouTubeで聴いているんです。

聴いてると似たような動画をグーグルさんがおすすめしてくるわけですが、その中に「ひろゆき」さんという方がおりまして、聴いてみたんです。

すると話が面白くて、経済の話が多いので経済学者とかかと思ったらそうじゃなくて、「2ちゃんねる」を作った人なんですね。

 

そいでもってまあ面白いのでよく聴いてて、そこで聴いた話をyuccoとの会話に挟んだ訳ですよ。

話の内容は忘れたんですけど、

 

大橋亭「・・・・とまあこういうことを言ってる人がいてね。」

 

yucco「へえ。誰?」

 

大「(知らないと思うけど)2ちゃんねる作った人。」

 

y「ああ、ひろゆき?」

 

 

 

 

知ってんのかい!

 

 

 

 

 

よくよく聞いてみると、インターネットが一般に普及しだした頃によく2ちゃんねる見てたそうです。

 

なかなか侮れないyucco。

 

 

ゆうこすさんがすごいのか、知ってるyuccoがすごいのか。

最近インフルエンサーが話題です。

え?話題ですよね?違います?

まあいいんですけど。

 

その中でゆうこすさんというインフルエンサーの方。

モテクリエイターの。

その方がツイッターで、「Facebook超楽しい!」みたいなことを呟いているのを目にしました。

 

確かに最近はFacebookはおじさんのツールだと言われております。

実際学生さんに聞いてもやっているのはインスタかツイッター、Facebookは「やってない」という方がほとんど。

それを聞いてアラフォーなワタクシはちょっと恥ずかしい思いをしたりして。

しまいにはFacebookのフェの字も言わず、「インスタフォローさせてー。」などと若者におもねる始末。

 

それはさておき今どきの若者、やってないとは言ってもアカウントは持ってて使い方はわかるけど、ただ「やってない」のだと思っておりました。

 

しかしそのゆうこすさんへのコメントみてると結構使い方わからないという若者が多くてビックリ。

自覚のないままジェネレーションギャップは広がっておりますな。

 

そいでもってこの話をyuccoにしようと思ってね。

 

yuccoはアラフィフなので、どうせゆうこすさんのことは知らないだろうと思って、

 

ワタクシ「最近の著名な方がFacebook楽しい!って言ってて、若い人ってほんとにFacebookやらないんだねえ。」

 

yucco「へえ、そうなんだ。なんていう人?」

 

ワ「(どうせ知らないと思うけど)ゆうこすっていう人。元HKT48らしいよ。」

 

y「ああ、モテクリエイターの?」

 

 

知ってるんかい!

 

 

 

きのこの山とたけのこの里で考えることの大切さを学ぶ。

「きのこの山」と「たけのこの里」で、「たけのこの里」が好きという人は頭が悪いと言ってる人がいまして、皆様はどっち派でしょうか。

 

ワタクシは断然たけのこの里なんですが、その方に言わせると頭が悪い方に入っております。

 

何故か?と言うと、

1.きのこの山の方がチョコが多く、たけのこの里は殆ど小麦粉。

2.きのこの山のクラッカーは形を作るのが難しく、且つデリケートであるため高度な技術を使っている。

ということで、きのこの山の方が原価が高いのにも関わらず、この二つは同じ金額で売られているから、たけのこの里派は思慮が足りない、という考えだそうです。

 

これを聴きながらワタクシは、怒るというより、「なるほど、頭の良い人は普段からそう言う風に物事を見てるのか。」と感心してしまいました。

ワタクシは単純にクラッカーよりクッキーが好きなのでたけのこの里派なんですが、その単純さが一事が万事、全てのことにおいて思慮が足りないということなんでしょう。

 

何事にも裏があり、その辺りを常に意識しながら物事を考える習慣をつけないといけないということなんでしょうな。

 

精進したいと思います。

渋谷のツタヤ前。ストリートライブならぬストリート落語を。

ビックリしました。

4月は一度もブログの更新がなかったようであります。

書くことが何もなかったのか?というとそうでもなくて、なかなか大きなチャレンジがありました。

 

それは何かと尋ねたら、「渋谷のTSUTAYA前でストリート落語」です。

 

まあワタクシ、ストリートなるものを経験したことはございません。

 

初めてのストリートが渋谷スクランブル交差点のツタヤ前。

 

まあ極端と言えば極端ですが、はやり最小のパフォーマンスで最大のインパクトを出そうと思ったら極端なことをするしかありません。

 

そのために東京。

 

東京でストリートといえば渋谷のツタヤ前が聖地ということを、関東在住の方に聞いた訳です。

 

正直最初はビビりましたよ。

まあまずは軽くどこかの公園あたりでサクッとね、とか思うじゃありませんか。

いきなり渋谷ってねえ、言われるとさすがにねえ。

 

でもまあ話してるうちにイケるんじゃないかという気がしてくるから不思議です。

 

聖地というからには、他にもいろんなバンドやらなんやらもいればね、仲良くなって、励ましてもらったり背中押してくれるんじゃないかと思ったりね。

 

ああ、一人じゃないんだ、なんて目頭を熱くしながら座布団に座るイメージが沸いてきて、公園で一人きりよりも渋谷で一人じゃないほうが心強いんじゃないかってね。

 

そうして決めた渋谷スクランブル交差点へいざ!

 

もちろん頭の中では尾崎豊さんのScranbling Rock’n’Roll。

 

忠犬ハチ公の周りは今日も人だかり。

 

信号の向こうを見てみると何やら人だかり。

 

「おお、誰かがギターかき鳴らして歌っている?

自由になりたくないかい?熱くなりたくはないかい!」なんて心は尾崎な気分で近づいていくと、蛭子能収さんがロケしてるだけでした。

 

いやいや、今俺に必要なものは蛭子さんじゃなくてrock!rockは?いないの?

 

見渡してみてもrockはいない。

蛭子さんとロケ隊、それに蛭子さんに興味がない人だかりが歩いていくだけ。

 

「おいおい聖地じゃないのかよ!」と独り言ちながらyuccoの待つハチ公前へ。

 

「蛭子さんしかいなかったよ。」と告げても、見に行くそぶりもない。

まあそうだよね。俺も別に蛭子さんに何も感じなかったからね。

 

感じたのは、居ると思ってた同士が居ないという焦燥感。

 

しかしここまできてビビるのはダサい。やるしかない。

 

しかし不思議なもので、人間ってのは覚悟を決めると早い。

 

ハチ公前のキスマイのでっかいポスターの前、キスマイポスターを写真に収めている女子たちをものともせずおもむろに帯と雪駄を出し着替える。

 

来てくれた関東在住の二人にも手伝ってもらい、アンプ、マイク、座布団を持って交差点を渡りツタヤ前へ。

 

緑の腕章をつけた見回りのおじさんをやり過ごし、毛氈を敷き座布団を敷きマイクとアンプをセッティング。

 

ツタヤ前で待ち合わせしているのであろう、多くの人の冷ややかな視線を見て見ぬふりをし座布団に座る。

 

さすがにここまでくると緊張はない。

 

いや、緊張していたのか。

 

どちらかわからない、とにかくテンションがあがりめちゃくちゃ楽しくなってくるではないか!

 

もうできればいつまででもまくらを話していたいという衝動にかられながらも、緑の腕章おじさんがいつ戻るかわからない。

まくらを早めに終わらせ、いざネタへ。

 

「風呂敷」を選んでとにかく話す!

 

途中足を止めて聴いてくれる人もいたりしましたが、そのあたりを楽しんでいる余裕はありません。

駆け足でサゲまで行く。

 

 

 

出来が良いとか悪いで言ったら、全然良くなかったでしょう。

 

しかし自分の中で、渋谷ツタヤ前でのストリート落語という前人未到(確認してませんが)の領域に足を踏み入れたという達成感がジワジワとこみあげてきました。

 

東京渋谷という刹那的な街で、きっと誰もきちんと見ていてくれなかったでしょうし、目に入ったとしても3秒後には忘れているでしょう。

 

しかし自分は今、間違いなく生きているという充実感がありました。

 

お金を払って満たされる欲求ではない、自らの体を使って満たされる欲求。

 

自分のしたいこと、こうして生きていきたいという道が見えた渋谷での落語。

 

やはり思い切ってやって良かった。

 

悩んだときは困難な道を選ぶべき。

 

困難な道の向こうにしか光はない。

 

 

やっぱり落語はいいですね。