運動音痴というキーワードでスタートさせてみました。

僕は運動音痴なんです。

髭眼鏡でクールぶってますが運動がまったくできません。

だから学生時代は体育の授業がホントに地獄的に嫌でした。

何やってもダメで、得意なスポーツはゼロ。

なぜあんな屈辱に耐えなければいけないのかと子供ながらに惨めでしょうがなかった。

 

でも昨今の運動会で順位をつけないとかそういう画一的なものは断固反対です。

優劣を付けないとか、オンリーワンでいいとかそんな生っちょろいことを言うから社会がどんどんダメになると思うんです。(これは僕の勝手な解釈ですのであーだこーだ言わないでね。)

子供は傷つく。僕も傷ついた。でもだからこそ打たれ強くなったと思うし考えるし工夫する。

劣等感が自分を突き動かすこともあるし、そこで世の中の仕組みを体感で理解できる。

だって世の中に出たらオンリーワンでいいなんて誰も言ってくれない。

終わりのない競争に晒され、それでも生きていかなけりゃいけない。

 

今じゃ学芸会の演劇で主役が何人もいると聞く。

冗談じゃないと思う。子供はそんなにばかじゃない。

物語の中で何人も主役がいるという矛盾を幼い子供に見せてどんな大人になるのか想像できないのだろうか。

親、教育者。大人がちゃんとしないと。子供はそういう人の背中で育つんだから。

お願いします。

 

結局は小室さんの言うとおり。

夢。

 

寝て見る夢じゃなくて、起きていて見る夢。

安室奈美恵が夢なんて見るもんじゃない、叶えるものだと言っておりました。

まあ実際言ってたのは小室哲哉だということはさておき、夢ってなんだということで書き出してみるんですが夢って実際見なきゃいけないのか。

なんとなく今の世の中夢がないとダメだみたいな風潮があって、夢がないという人は危機感を覚えてたりするようですが、実際イチローみたいに小さいときから夢に向かって生きてる人ってどれくらいいるのでしょうか。

僕の場合、小学生の卒業文集に書いた夢は「シルベスタースタローンみたいな俳優」でしたが、ガリガリだしホントにそこに向かって努力なんてしなかったし、夢ってそんなものだと思ってましたね。

実際、環境が夢なんて見られるもんじゃなかった。

高校出たら働けと親には言われていたし、そもそも高校も公立一本で、落ちても私立なんて行けないから滑り止めで私立を受けるなんてこともさせてもらえなかったわけで。

公立に落ちたら中卒で働いてたわけですがなんとか受かったので学歴は高卒です。

そんなわけで僕の場合は高校出て働いて、いくつか仕事も変わって結婚して、なんとなく働きながら奥さんと好きなことをしてたらカフェ開いてた、みたいな感じなんで、がむしゃらにカフェに向かって生きてたわけじゃないんです。

そんな僕が言えるのは、イチローみたいにはっきり将来やりたいことがある人はそこに向かって最大限努力すればいいし、特に夢がない人だって、日々の仕事に精を出すことや、家族を守っていくことだって立派なことだと思うからそれでいいと思う。その中で自然になにか夢ができたらその時にまた考えればいいと思う。

とにかく現代の夢を見なきゃいけないような風潮はちょっとどうかなと思う。

大事なのは考えること。日々考えて生きること。そうして見えた答えがきっと正しい。

思いのほか思い入れがなかったという話。

そう言えば、スマスマが終了したようですね。

なにかいろいろ書けるかなと思ってこのテーマにしたんですが、ここから見えることは何事も永遠に続くことはないということと、仲が悪いのに一緒に番組を続けてたなんて大変だねということくらいです。

お疲れ様でした。

何事も安易に済ますんじゃなく、きちんと考えて行動しないとね。

この間の定休日に三重県に行ってきました。

年明けにカフェを開業される方がワタクシのコーヒーを使って下さるということでご挨拶に。

こちらの詳細はまた今度ゆっくり書くとして、今回はある食堂のお話を。

 

三重県に有名な食堂があるということでこれ幸いと行ってきたんです。

海の幸がふんだんに入っていてお値段が良心的。

これは確かにお得、なんですが、そのお店がもう社員食堂のようでムードもなにもないのです。

そりゃあ確かにそれがそこのお店のスタイルですから、そこをどうこう言うつもりはありません。今回言いたいのはそこじゃなく、やはり味を決めるのは料理そのものだけじゃないということです。

昔僕がパン屋で働いていた時の同僚で面白い人がいて、その人がまるで女心がわからない人でして。

当時の彼女とカフェかなんかでデートしてる時に彼女が「二人で食べると美味しいね」みたいなロマンチックなことを言ったようなんですが、その時の彼の返した言葉が「料理の味は変わらんでしょ。」

当然彼女は怒るわけですが、そのことを僕に「なんで怒るのか意味がわからない」と真顔で言っていたのが非常に面白くもあり、ホントにわからないんだと驚いたわけですが、僕は女心がわかる男ですから彼女の気持ちはわかります。

 

なにが言いたいかと言うと、同じものでも好きな人との食事は嫌いな人と食べるより美味しく感じるのは当然だと思うし、当然人だけじゃなく環境だって味を左右するわけで。

ここの食堂では自分でもびっくりするぐらい味がわからなかったんです。

冷静に考えたら美味しくないわけがないし嬉しいはずなのに、まったく美味しいと感じずただただお腹を満たすだけの寂しい食事になってしまって、ああホントに大事なのは環境と人だと痛感。

とりあえず僕はここには2度と行きませんが、こういう感覚って常に磨いてないとそこに鈍感になってしまう危険性があるので皆様も気をつけてね。

何を食べるかじゃなく、どこで食べるか。誰と食べるか。

これはいつも言ってることだし、自分の店をやっていく上でいつも意識していることなのに、身を持って改めて思い知った次第です。

そう、人のぬくもりを感じにくく、先の見えない現代社会。

せめて自分の気持ちいい環境は、強い意思でもって自分で作っていかないとあぶないなと思った一日でございました。